~ 「絶対に逢えない」からこそ「逢える」とは ~
2024年は普通の年ではない。一つの区切りとなる年である。何の区切りか?…それは2013年から始まった「12年間」を区切る年である。何の12年間か?…「人間の意識進化」のプロセスを辿る12年間である。意識進化という「山」の頂上へと到達する12年路程である。
この12年間でひとつの決着がつく。ひとつのカタチができあがる。それが2013~2024の「自己側12年間」だ。ここで作られた「型出し」が2025年以降の「他者側12年間」として反映されていく。2025年以降は他者との相互理解を深めて行くプロセスに入ると思われ、ヌーソロジー的に見てその見通しは明るい。
2024年自体が一つの区切り、ラストステージの年であり、その最後のクォーター、夏至から冬至までの3ヶ月間はラストのラスト…ここでラスボスor真打ちが登場し、最後の戦いに勝利し、大いなる謎は解かれ、すべての伏線は回収されるのである。ここがもっとも盛り上がり、やがて感動の大団円を迎えるのである。
そのラスボスとして「前」からやって来たのが…「古ユダヤ精神」と「対話の哲学」…なのであった。ユダヤ教に帰るとな?…「一神教精神からの卒業」を声高く叫んできた関西ヌース&トーシンとしては、冗談も休み休み言え…となるところだが、事態は思ってもみない方向へと展開していった。
ユダヤ精神は誤解されている。物質欲と権力欲にまみれ、世界に争いと破壊をもたらしているユダヤ的なもの…とは、真のユダヤ精神ではない。傲慢かつ閉鎖的な態度をもたらすものが選民思想&一神教精神なのではない。それらは全て誤解であった。ユダヤ精神に対する「幅」的な理解、「潜在化」側の理解に過ぎなかったのだ。
真のユダヤ精神には「対話の哲学」があったのだ。「永遠の汝と我」との間でのみ交わされる、真の関係性の世界。このことに気づいたのは、もちろん当のユダヤ人達であった。19世紀から20世紀にかけて、2度の大戦とナチスによるホロコーストの危機に直面したヨーロッパのユダヤ人たちの中で…この「ユダヤ哲学」は醸成されていった。
だがその思考の系譜は大して注目されることなく忘れられていく…。無理もない、この系譜はユダヤ精神に対する「奥行き」的な理解であり、「顕在化」側の理解であるからだ。「幅」的欲望が先行する人間の世界において、「奥行き」は埋もれやすく日の目をみない。
2024年最後の3回は、この「対話の哲学」を追いかけ深めて行くことになるだろう。まずはこの忘れられた系譜の創始であり、もっとも重要なユダヤ人哲学者「ヘルマン・コーヘン(1842-1918)」をとりあげる。
前半では彼がなぜこの19世紀末に「古ユダヤ精神」へと向かわなければならなかったのか…そこに至るまでの歴史的経緯、ユダヤ民族苦難の歴史を概観する。ここはユダヤ-キリスト教精神を実際に生きてきた統心の真骨頂である。概観ではあるが他に類を見ない解説、これを見て頂ければユダヤ精神に対する皆さんの態度は大きく変わることになるだろう。
後半ではいよいよ「対話の哲学」とは何たるか…に踏み込んでいくことになるが、ここでも統心節が縦横無尽に炸裂する。「一神教」の反対語は「多神教」ではなく「偶像崇拝」である…ということを知り尽くす統心であるからこそ、難解に思えるコーヘン思想の本質が分かり易く臨場感をともなって解説されていく。
今回はまだ「対話の哲学」のほんの入り口に過ぎないが、きっと視聴者にとって意識進化のラストステージへと大きく舵取りをするインパクトを与えるだろう。
もしかすると、この埋もれた「真のユダヤ精神」を発掘することが、日本人としての「真の責任」であり「最後の務め」なのかも知れない。
そしてそのことが昨今の不穏な中東情勢、イスラエル-イランの紛争に始まる第3次世界大戦を未然に防ぎ、状況を鎮めることになると信じている。
コメントをお書きください