~ そして遂に明らかになる「シン・鏡の法則」とは ~
今年2024年は、2013年より始まった意識進化の本格波動~「自己側12年」の最終年である。だとしたら、何らかのクライマックス的なヤツ(悟り・気づき)が舞い降りてくるだろう…などということは、出発当初より予想はしていた。
しかし、まさかそれが本当にやって来るとは…。まだまだ荒削りではあるが、今号でその一端を垣間見ることになる。それを統心は「シン・鏡の法則」と名づけてみた。準備ができた者にとって、今号はかなりの衝撃を受けるはずだ。きっと意識進化の何たるかを体感できると思う。
その前提として「脳からの脱出」という「大戦略」がある。これは「戦略」であり「方向性」だ。要するに「意識は脳に依存しない」ということ。なるほど脳実質の機能異常によって「意識現象」が影響を受けるのは、痴呆や意識障害などを挙げるまでもなく自明である。しかし脳が実際に停止する臨死体験や多重人格障害などの事例は別の可能性を示唆している…「意識本体」は脳に影響を受けない…ということを。
「意識本体」は脳に影響を受けない…いや、脳実質からはあふれ出ている…ベルクソンの表現を借りればこうなる。これは重大な事実である。真にこのことに気づくことができれば…そしてこのことを明晰に言語化し、他者との共通理解を得られるようになれば…この文明自体を転換させることができるだろう。これこそが「霊性文明」の到来…意識進化の方向性ではないか。
我々現代人が謳歌している「物質文明」とは、実は「脳」がもたらしたものである。養老孟司氏はこれを「脳化社会」と呼んだ。脳化社会とは「意識と脳を同一視」するところからスタートしている。デカルトの「我思う故に我在り」によって、内省的に感覚化された「近代的自我」がそれだ。
そのことによって「脳」は内側に自然界のコピー(シミュレーション回路)を作り出し、そこで「実験・予想・反省」を繰り返すことができる様になる…科学と技術の発達である。科学技術は現実世界に自然界とは異質な物質文明社会を見事に作り出した。今日、誰もがその恩恵を受けている。
しかしながら、その物質文明社会はいま限界を迎えている。それは「脳化社会」の限界であり、近代に誕生した自我の隆盛とその限界ということである。…オコツトはそれを「近代以降の人間の誕生」と「最終構成における人間の終焉」と呼んでいるのだろう。
さあ、脳から脱出しよう。そして「意識現象」から抜け出し、「意識本体」へと移動しよう。従来の「鏡の法則」は「鏡」に映し出される「意識現象」の説明であるが、「シン・鏡の法則」は映し出す「鏡」自体である「意識本体」を思い起こさせる。これぞ正しく「顕在化」である。
振り返って12年間、毎回が神回の連続であった大阪ヌースレクチャーだが、ここでさらに神回を更新する。見る者と見られる者を一致させる生命の実相体験に、この夏ぜひとも飛び込んでほしい。この内容を皆で共有して行こう。
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