~ そして「過去と未来の等化」とは… ~
ヌーソロジーは「純粋思考」である。この意味が伝わること、相互理解に至ることは極めて難しい。だが難しいのは「人間の思考」が「経験的思考」であるからに過ぎない。難しいとか簡単だとかいうのは、経験的思考の物言いである。
純粋思考は、そう言った経験的思考とは無縁のものなのだ。これは哲学で言う「超越論的」思考に相当するだろう。…出た、「超越論的」。カント哲学に始まる「超越論的」というタームはヌーソロジーでは必須ワード。
フォロワーの中には既にこのワードでアレルギーになっている人も少なくないはず。
だがそこは統心にお任せあれ。今回あらためて「超越論的」を目から鱗の解説で明確にしてみせよう。その為にも「純粋意識・純粋経験」という「純粋」繋がりからこのレクチャーは始まる。
インド・アドヴァイタ哲学(不二一元論)と黄檗宗・臨済禅から「純粋意識」を、西田哲学からは「純粋経験」を参照し、シュタイナーの「純粋思考」を経由してヌーソロジーへと辿り着く。
なぜこの様な流れの解説が現れるのか…講師である統心も全く分からない(笑)…すべては「前」からの恩寵である。真に求道するものならば、感涙を禁じ得ないレクチャー前半をぜひ体感してほしい。
そして後半では関西ヌースで初めて「人間の意識と人類意識の歴史的発達」を取り上げる。これはいわゆる「潜在化」の話だ。「顕在化」の探究と実践に全てを賭けて歩んで来た統心がなぜここで「潜在化」の話を持ち出すのか。本編を聞けば分かる、すべては「純粋」思考に至る伏線なのだ。
そしてクライマックスは恒例、激アツの統心放言コーナーに至る。「純粋」繋がりで探究してきた流れを受け継ぎ、ドゥルーズの時間論「純粋現在・純粋過去・純粋未来」に触れる。そして最後に叫ぶ…「これが過去と未来の等化だ~!」と。
賛否両論?甲論乙駁?…いずれにせよ見る者の魂を揺さぶる内容であることは間違いない。そして見る者はいつのまにか「純粋思考」の概念を共有することになる。
「純粋思考」とは、この概念自体を理解することがすでに純粋思考なのである。そこはすでに「領域」である。この領域で「あなた」と出会うために、今日もまた統心は叫ぶ。
是非ともご覧下さい。「領域」でお会いしましょう。
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鄭(池) 美世子 (月曜日, 29 4月 2024 03:49)
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