5/12(日) 2024統心オンライン講演会 第2弾!

2024 川瀬統心オンライン講演会 第2弾

日時:5/12(日) 14:00~18:00

方法:ズーム・ウェビナー

費用:3300円

※オンデマンドで後日視聴もできます。

※当日参加された方も、後から何度でもオンデマンド視聴ができます(約1ヶ月)。

 

★★★ お申込ページはここをクリック ★★★

 

関西ヌーソロジー研究会主宰

武蔵野学院大学ヌーソロジー研究所 特任研究員

 

ヌーソロジー研究家であり内在探求者

自分教ガイド・川瀬統心によるオンライン講演

 

2024年 ψ12「性質」の顕在化シリーズ 第2弾

 

テーマ:「意識する意識」と「意識された意識」

~ 「霊性」を奪回し、今・ここに永住する覚悟を得るために ~

 

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ヌーソロジーの役割として、意識における転倒した構造を告発し、その是正へと人々を導くことがあります。

 

幼少期より生きづらさを感じ、青年期を過ぎてもなお日々曇天の心境で、漠然とした日常にも苦しみ続けて来た統心にとって、ヌーソロジーが伝えてくれた「意識の転倒構造」という知見は本当の意味での救済をもたらしてくれました。

 

そんなヌーソロジーに出会えたのはすでに壮年期でしたが、お陰様でそれ以来、毎日五月晴れの心境にて、喜びの日々を生きさせてもらっています。

 

 

●「質」と「量」の転倒について

 

生きづらさの原因として、例えば「質」と「量」の転倒があります。

 

人間は往々にして「質」と「量」を転倒させる、そしてそのことに気付かないばかりか「質」の方は潜在化し、すべてが「量」化した空間の中に埋没する様になる…。

 

このことを今から100年以上も前に告発したのが哲学者ベルクソンでした。

 

すべてが「量」化した空間において、人間は生きる尊厳や自由の根拠を失ってしまうこと…、そして真の自由たる精神は、「質」である時間の方にこそ根拠づけられる…ということをベルクソンは示そうとしたのですが、繊細かつ難解な哲学のために残念ながら多くの人の理解を得るには到っていません。

 

ですがヌーソロジーはこの様なベルクソン哲学を分かり易くリフォームする可能性を持っています。

 

それが「奥行き」と「幅」…複素二次元空間から始まる「意識=素粒子」の空間認識です。

 

直交する「奥行き」と「幅」の空間整理によって、人間は様々な混乱から解放されることになります。この場合、質的空間(持続)が「虚軸・奥行き」にあたり、量的空間(時空)が「実軸・幅」にあたります。

 

この理解によって、ベルクソンが示したかったことが明らかになるだけでなく、彼が言い得なかったことも理解できる道が開かれて行きます。

 

 

●「意識する意識」と「意識された意識」

 

例えば「意識」に対する大きな誤解です。それは「意識する意識」と「意識された意識」の違いのことです。

 

今日、意識に対して発言する多くの人々がこの差異を理解せず、混同し混乱しています。そのために間違った結論に導かれようとしています。

 

「人間に自由意志はない」「AIは意識を持つようになる」「人間の意識は死後、コンピュータ上にアップロードできる」…などがそうです。

 

これらはすべて「意識」を「意識された意識」としてしか見出していないことに起因しています。より重要かつ本質である「意識する意識」の方がすっかり失念されているのです。

 

「質」と「量」が転倒してしまっている人間的な空間において、「意識する意識」の方は見出すことができないのですから無理もありません。

 

これをインドの現代的覚者として名高いラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジは、「気づき」と「意識」の違いとして語っています。

 

彼ら覚者の言う「気づき」とは「意識する意識」のことです。これは「真我」とも呼ばれています。ラマナ・マハルシはさらに分かり易く「スクリーン」と「映し出された映像」の例えで説明しています。

 

「スクリーン」が「意識する意識」であり、「映し出された映像」の方が「意識された意識」のことです。

 

彼らアドヴァイタ(不二一元論)の覚者達は、この真我である気づきに至ることだけを説き、人々にはひたすらそれを促してきました。

 

このことから分かる様に、空間認識が転倒している人間にとって、「意識する意識」を認識することは大変困難なことなのです。

 

しかしヌーソロジーによって慧眼を得た者は、これが極めて平易なこととして分かるようになるのです。これを「顕在化」と言います。

 

 

●スピリチュアル界隈で散見される量子力学の理解には賛同しかねるものがある

 

ところで今日、スピリチュアルの領域において意識と量子力学の関係について語られることが多くなりました。

 

量子力学における「粒子性と波動性」や「二重スリット実験」…「見ている時は粒子だけど見ていない時は波動」という実験結果を根拠に「意識は物質に干渉できる」「目の前の世界は自分の意識が作り出している」と安直に理解し解説するものが散見されます。

 

ですがヌーソロジーで伝えている「意識=素粒子」の認識は、これとはまったく似て非なるものなのです。

 

これもまた「意識する意識」と「意識された意識」の混乱・混同に端を発しています。

 

スピリチュアルが量子力学との関連で語る意識は「意識された意識」なのです。

 

対してヌーソロジーが一貫して語っている意識は「意識する意識」なのです。

 

ヌーソロジーが「意識の正体は素粒子である」というのはそのことです。「意識する意識」の正体が「素粒子」であると言っています。

 

ここには大きな違いがあり、似ているようで、導かれる結論はまったく違うものとなっていきます。

 

「意識された意識」のまま意識と量子力学の関係を追求しても、いつまでも「自我」と「欲望」から解放されることはないでしょう。これでは拡張された欲望がより多くの混乱をもたらすだけです。

 

しかしながら、「意識する意識」を「素粒子」として見出すヌーソロジーのプロセスは、確実に人間を自我から解放し、欲望を変容させ、無為自然・あるがままの境地に導くことになります。

 

 

●世知辛い「因果律」からも脱出できる!?

 

意識における「奥行き」と「幅」…直交する複素空間認識は、難解とされる禅の公案などにも新たな理解をもたらすことになります。

 

今回は道元禅師による「灰はのち、薪はさきと見取すべからず」を通して、「時間」に対する常識を越えた理解を見いだして行きましょう。

 

「灰は後、薪は先と見るべきではない」…私たちは普通、薪が燃えて灰になるという因果関係として「薪と灰」を見ますが、道元はそうではないと言います。

 

薪は薪、灰は灰であり、「前後ありといえども、前後際断せり」と彼は言うのです。

 

薪と灰の間には「断絶」があるということです。いったいどういうことでしょうか。

 

実はここにも「意識する意識」と「意識された意識」の差異が問題の本質としてあるのです。

 

続いて道元は「生と死」も同様に連続した因果関係ではないと言います。このことを真に理解した時、「不生不滅」の意味も分かるというのです。

 

ヌーソロジーはここにも深い理解をもたらすことができます。そしてそれは、ヌーソロジーに近しい哲学とされるドゥルーズ哲学における「純粋過去・純粋未来」に通じることだと分かるでしょう。

 

「過去・現在・未来」と連続した時間の流れしか分からない意識…これもまた、生きづらさの原因の筆頭にあげることができるものです。

 

これが「純粋過去」と「純粋未来」という差異を見出し、「過去・現在・未来」という凡庸な時間の流れを解体することになれば、そこには「いま・ここ」の「純粋現在」が現れるようになります。

 

この純粋現在を見出すこと、ここに永住する覚悟を得ることは「生きて死後の世界に入る」というヌーソロジーの方向性なのであり、これこそ「霊性」の奪回に他なりません。

 

※ここで言う「純粋現在」とは、西田哲学で言う「絶対現在」と同じ意味として使っています。

 

 

毎月の関西ヌーソロジー研究会で発表してきた叡智を数ヶ月に一度、全国全世界の皆様と分かち合う統心オンライン講演会。

 

ヌーソロジー・ビギナーの方でも気軽に楽しめ、かつベテラン勢もうならせる統心節の講演は、毎回好評を博しています。

 

ご縁のある方のご参加をお待ちしております。

 

統心はあなたの中の「変換人」を産み出すお手伝いを致します。

 

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