テーマ:「永遠の汝と我」…対話の哲学(2)
~ ψ5とψ*5は果たして出逢えるのか…単独者、沈黙、そして対話 ~
人間の意識進化のゴールとは…もう最初から予想はついていた。
それはψ5とψ*5がいかにして出逢えるのか…である。
言うまでもなく「ψ5=本当のわたし」「ψ*5=本当のあなた」である。
ところが人間は鏡像である「ψ6=自我」「ψ*6=他我」をそれぞれ自分だと思い、同じ空間上でコミュニケーションした気になっている。
「ψ6=自我」とは、実際には他者から見られたところに感覚化された自意識であり、「他者の他者」とも言う。
これは「他者側の時空」に閉じ込められた状態のこと。十種神宝で言えば「嬴都鏡」に閉じ込められた状態。
このψ6とψ*6との間に真のコミュニケーションはあるのか?…それは言うまでもなく、あり得ないということになる。上で見た新党内紛劇がまさにこれだ。
だから真のコミュニケーションはψ5とψ*5の間に…この回路を開くこと…そこに自他一体の空間が現れる…ということになる。あとはこれを探すだけだ。
ところがそうは問屋がおろさない。「ψ5=本当のわたし」「ψ*5=本当のあなた」なんだから、これからは本物同士でコミュニケーションしましょッ!…などと言われても空しいだけである。絵に描いた餅、空想・夢想の域を出ることはない。
上で少し書いた「一人一宇宙」や「見ている世界は私の内側ね」などという言説はみな、ここを勘違いしているのである。
これらの言説は決して「ψ5」ではない。「私の宇宙」「それぞれの宇宙」を実感したからっといって、意識進化の方向性はまだ産み出されてはいない。
確かに入り口には立っているのだが、そこで止まってしまう。止まってしまうともう先には進めないし、そうなるとエントロピーよろしく、どんどん酸化して錆び付いていくだろう。進化の本道からは外れていく様になる。
進化の方向性には反転が必要になる。その構造を理解することで、不可能と思われる関係が可能となる。それをまず「思考」で理解し、それによって「認識」が変わり、やがて「感覚・感情」が変化していく。これがヌーソロジーの王道だ。
ちなみにヌーソロジーにおいては、以下のような予想が立つ。
観察子の顕在化が進むと、やがてψ11~12の舞台に出る。このステージは「位置の同一化」と呼ばれ、人間の意識進化としてはここが最終段階である。
ψ11~12はψ*11~ψ*12と双対構造になっている。この段階でψ11~ψ*11の関係が表れる。
そして観察子の構造上、ψ11はψ*5へ、ψ*11はψ5へと凝縮化する。
ここで「ψ11~ψ*11」は「ψ*5~ψ5」になるのである!
…お気づきだろうか。
ψ5とψ*5の関係が入れ替わっていることに。
最初に言った…意識進化のゴールとは「ψ5とψ*5がいかに出逢うか」であると。
それがこの段階において…そう、「ψ11~ψ*11」顕在化の段階においてその構造が明らかになるのである。
この結論を言葉で言えば「あなたとはわたしだった」「わたしとはあなただった」となるが、そんな結論だけ聞いても意味がない。意識進化の「力」は構成されない。
繰り返すが、まずは思考で、この構造を認識する必要があるということ。それをやっているのがヌーソロジー…ってことになる。
そこで今月のテーマ、先月に続く古ユダヤ精神である「対話の哲学」を見ていこう。
今月はヌーソロジーでもお馴染みのマルチン・ブーバーを取り上げる。
彼の著書『我と汝』を読み解いてみたい。
時間の都合上、この本の全てを網羅することはできないが、おそらくここに重要なヒントが隠されているとトーシン・アンテナが全身でシグナルを送ってきている。
何が出てくるのか…実に楽しみだ。
ピンと来る方は是非ともお越し下さい。
初めての方、久しぶりの方、大歓迎です。お待ちしています。
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