2024年3月の方向性

テーマ:純粋意識・純粋思考・純粋経験

~ そして、過去と未来の等化とは… ~

 

ヌーソロジーには「純粋○○」という用語がよく出てくる。

 

●「純粋意識」というのは仏教やインド教系の瞑想解説で出てくる。

 

日常の煩悩まみれの世俗的意識から解脱し、空や無を正見した意識…いわゆる「悟り」を得た意識…その意識状態を表している。

 

もう少し踏み込むと「元から悟っている意識」みたいなニュアンスが強い。そしてここが大事な点であったりする。

 

というのも修行者は往々にして「努力」して悟りに至ろうとする。これがより雑念や執着を呼ぶことになるし、仮にうまく一瞥に至ったとしたら、今度はその悟りを所有してしまう。自分の手柄にしてしまう様なことがおきる。

 

一瞥して過ぎ去ったあとでもその所有を続けてしまう。そうなると偽善者になる。

 

そういうことを回避する為にも「元々悟っている」という認識は凄く重要だということが分かる。

 

誰もが既に悟っている。そのような意識が人間の意識の最も深いところに既にありますよ…というようなことだ。

 

 

●元々あるもの、オリジナル、源流の意識…そういうことを「純粋意識」として、明確に哲学思考したのがフッサール…言わずと知れた「現象学」の創始者である。

 

「現象学」は「現象学的還元」…その手段としての「エポケー(判断停止)」から始まる。

 

エポケーとは「外界の実在性についての判断を中止する」という様なことだが、あえて統心流に大胆・デフォルメ解説をすれば、

 

マトリクス(現象世界)から脱出するために、まずはマトリクスに対しての判断を停止するということである。否定したり、肯定したりしない。判断停止である。

 

なるほど、マトリクス(現象世界の悲喜こもごも)に対して、否定したり肯定したりするという思考や態度では、いつまで経ってもそのマトリクスという「大前提」に対して「快心の一撃」を加えることはできない…ということか。

 

まるでお釈迦様の手のひらから出られない孫悟空の様なものだ。

 

それに対してエポケーは、マトリクスに対する判断を一切停止、括弧に入れて保留…そこから哲学を開始する…そうすることで現れてくるであろう「純粋意識」を追いかけた…それがフッサールの哲学であろう。

 

この意識が成立する条件や構造を探って行った…そうすることで、マトリクスという牢獄から抜け出し、真の意味での自由を得た意識…意識らしい意識…に到達しようとしたのではないだろうか。

 

逆にエポケーとは違って、マトリクス現象世界の悲喜こもごもに対して、肯定したり否定したりしながら意識の理解を深めようとするアプローチもある。これを「心理学」という。

 

これで良く分かるだろう。現象学と心理学は全く方向性や役割が違うということが…。

 

 

●「純粋経験」というのは西田哲学の言葉である。

 

「純粋経験」とは、認識する主体と認識される客体とが、いまだ分離していない経験のことを言う。

 

西田幾多郎は最初の著作『善の研究』(1911)において、この「純粋経験」という概念から出発した。

 

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経験するというのは事実そのままに知るの意である。

まったくの自己の細工を棄てて、事実に従って知るのである。

純粋というのは、普通に経験といっているものもその実は何らかの思想を交えているから、毫も思慮分別を加えない、真に経験そのままの状態をいうのである。

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『善の研究』「第一編 純粋経験」冒頭より

 

 

純粋意識・純粋経験…こうして見て来ると、「純粋○○」という概念が目指している方向性がおぼろげながら見えてくるのではないだろうか。

 

 

●そして「純粋思考」…これこそがヌーソロジーの基本的態度

 

以下、コーセン氏のツィートから。

 

・純粋思考とはヌースのことだね。この思考は表象ではなく、表象を成り立たせているものに対する思考であり…(2016/03/31)

 

・トランスフォーマーにおいては、思考が先手を取るという意味だ。もちろん、ここでいう思考とは純粋思考のことであり、感性を通した対象の思考(通常の悟性)ではない。(2017/08/07)

 

・対象を思考することがそのままその対象と一致する世界。そこにおいて初めて主観と客観は一致を見る。。純粋思考物体としての理念。(2012/09/03)

 

・受動者としての人間はそれを経験させたものについては何一つ知ることができない。これを知ることがヌーソロジー的な超越論的経験論ということにでもなろうか。受動的感性ではなく、能動的感性を純粋思考によって開くということだ。(2016/02/03)

 

 

ヌーソロジーが目論む「純粋思考」という基本的態度について、そのイメージが少しでも伝わるのではないだろうか。

 

この「純粋思考」という概念は、シュタイナーが重視したことで知られている。

 

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私はこの純粋思考のことを、『自由の哲学』の中で、出来る限り意識的な仕方で論じようと試みましたが、純粋思考はこんにちでも十分に意識化され、対象化されているとは言えません。-魂について-

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シュタイナーのボットより

 

シュタイナーが「純粋思考」を特に重視し、かつその概念は人々に伝わり辛かったことがよく分かるだろう。

 

 

再び、コーセン氏のツィートから。

 

・オカルティズムの本質は純粋思考である。人間に潜む権力欲によって歪曲され続けて来たオカルティズムを心霊的な言葉の呪縛から解放することが必要だ。それによってルシファー的なものは撤退していく。(2013/10/24)

 

・シュタイナー哲学とヌーソロジーが互いに同型とも言ってような対応を見せるのはやはり「反転した空間」のイメージというものを純粋思考の中に打ち立てなくてはならないとするところです。(2013/08/03)

 

 

ヌーソロジーにとって「純粋思考」ということがどれほど重要か、そしてこの概念がどれほど分かりづらいか…そのことを改めてとりあげて、統心流に解説してみたい…

 

ということで、今月のテーマはこの「純粋思考」となる。

 

真の意味で「純粋思考」が分かると、ベルグソンの「純粋持続・純粋記憶・純粋知覚」などの意味もよりふくよかに分かるようになるだろう。

 

そして、先日のヌースエキスパートサロンで取り上げられた、ドゥルーズの「純粋現在・純粋過去・純粋未来」…。

 

とくに「純粋過去」の理解が意識変容の基点になると思う。とても重要だ。

 

「純粋過去」への理解が深まると「純粋未来」も観じられてくる…

 

その先には…遂にあの「過去と未来の等化」が…

 

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オコツト)位置の交換により時間はなくなり、変換により時間に負の方向性が生まれ、転換により時間は無という力を持ちます。

コーセン)負の方向性とは何ですか。

オコツト)人間の意識が過去も未来も等化できるという意味です。

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シリウスファイル 19901010

 

 

過去と未来が等化される…これほどの意識変容があろうか。

 

もうそれは人間ではない。人間卒業だ…正しく変換人だ。

 

「過去と未来の等化」について…この度、統心はある確信を得た。

 

それを京都ライブと大阪レクチャーにて、何とか表現してみたい。