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2023年7月の方向性

テーマ:2023年度上半期総集編プラス!

~ 顕在化(奇数先手)と潜在化(偶数先手)を整理する ~

 

今年もやってきましたね。毎年恒例、7月度は上半期総集編です。

 

2023年も折り返し地点を通過し、すでに後半戦を歩み出しています。

 

今年取り扱ってきたテーマは

 

1月:2023年の展望・・・アバターの顕在化

2月:人間の反対について考える・・・オコツト情報の奥義

3月:私は4人いる~全脳理論・・・ジル・テイラー女史(神経解剖学者)

4月:物質と記憶パート1・・・ベルクソン「イマージュ」、対話型人工知能ChatGPT

5月:物質と記憶パート2・・・意識と無意識のひっくり返り

6月:脳と記憶・・・ベルクソン「純粋記憶理論」

 

2023年は顕在化「11」年目の年です。

 

2013年から1年に1観察子ずつ、顕在化が進んできました。

 

今年は11番目、「ψ11定質」の顕在化が起きる年です。

 

顕在化は「奇数先手」の流れです。変換人の意識です。連続的な流れ。

 

ψ1→ψ2→ψ3→ψ4→ψ5→ψ6→ψ7→ψ8→ψ9→ψ10→ψ11

 

1から順番に連続しています。途切れがありません。ということは「部分=全体」という構造になります。どの部分にも全体が含まれています。

 

対する人間は「偶数先手」です。こちらは「流れ」ではなく不連続なぶつ切りです。

 

ψ2→1 / ψ4→3 / ψ6→5 / ψ8→7 / ψ10→9

 

不連続であり、全体との流れが途切れています。各部分は全体との関係を忘却しています。

 

観察子の頂点は「ψ13」、そのウラ側に「ψ14」となりますが、これは厳密には観察子ではありません。全観察子を「総合」する様な位置です。

 

するとψ11まで顕在化を起こせば、ψ12はそのまま後手に回ることになり、「ψ11~12」という「順接構造」はそのままψ13の顕在化を意味することになります。

 

要するに、ψ11の顕在化はクライマックス「ψ13」の顕在化を既に含んでいるということです。ψ13の顕在化が同時に始まっているということです。

 

理屈っぽく言えば、今年と来年でψ11~12を顕在化させるということが、そのままψ13の顕在化でもあるということになります。

 

2023年の重要性がお分かり頂けるでしょうか。

 

 

そんなψ11顕在化の年、今年は間違いなく「もう1人の私」との出会いがテーマになると年初より睨んで来ました。

 

それがヌーソロジーにおける最も奇妙なワードの一つである「人間の反対」との出会い。

 

《kohsen tweet 2013/01/04》

“OCOT情報にはまず最初に「人間の反対」というものが登場してくる。人間はこの「人間の反対」とつねに一対となって存在させられている。にもかかわらず人間にはその「反対」が全く見えていない。この「反対」が交差を行い始めるのが2013年とされている。さて、この「人間の反対」とは何なのか。”

 

このコーセンさんのツィートが、事の重大性を訴えかけて来ます。

 

調べて見るとこれより以前にコーセンさんは「人間の反対」についてツィートしておられません。

 

この2013年1月4日が「人間の反対」に関する初ツィートだったのです。

 

それが2013年より始まる・・・2013年より始まったのは「顕在化」の流動です。

 

顕在化のクライマックスに「人間の反対」の全貌が出てくる・・・統心の読みもあながちではないと思われませんか?

 

そして5月度教室ではそれを「シン胎盤論」として、「意識と無意識」のひっくり返りというところまで考察を進めて参りました。

 

そこにベルクソン哲学・・・とくに「脳は記憶を保存しない」という彼の「純粋記憶理論」が効いてきます。

 

なぜなら、意識と無意識をひっくり返すということは、それはそのまま「脳依存からの脱出」を意味しているからです。

 

 

さてさて毎年恒例の7月教室・総集編。

 

この半年間歩んで来た「顕在化道」をここですべて振り返り、整理・統合します。

 

とくに今回は「顕在化」と「潜在化」の違いに重点を置いて整理したいと思います。

 

11は顕在化の総合であり、12は潜在化の総合なのです。

 

※正確には13が顕在化の総合、14が潜在化の総合でしょうが、私の意図するところはご理解頂けるでしょう。

 

両者は全く違うのです。何もかもが違うのです。

 

その「根本」が、今回はっきりと分かりました。

 

そもそも「最初の問い」が違うのです。

 

人はそれぞれ、何らかの「問い」をもって生きています。

 

その奥深いところにある「問い」が目の前に現象化し、日常を作り出していることは間違いありません。

 

その「問い」が、顕在化と潜在化では「根本的」に違うのです。

 

 

ところで先日(7/22)のヌーソロジーサロン・エキスパートライブは、生命システム研究所の根本泰行氏のゲスト講演でした。

 

昨年末の舞踏家・最上和子女史以来のゲスト回でしたね。

 

根本氏と言えば、あの「水の結晶写真」で世界的に有名な江本勝氏のIHM総合研究所の顧問として活躍してこられた、最近の精神世界では有名人。

 

そんな彼の講演タイトル〈『宇宙の創造原理』と『意識の二階層論』〉でしたが

 

印象的だったのは根本氏が『宇宙究極の謎』として

 

「なぜ、この宇宙は無ではなく、存在しているのか」

 

この問いに対して終始徹底的に拘る姿勢を貫いておられたことです。

 

この問いはライプニッツによって「第1哲学」とされ、ハイデガーも「すべての問いの中で第1の問い」である・・・と語っています。

 

何を隠そう、これこそは統心の幼少時からの問いでもあります。

 

これこそが「根本の問い」なのです。根源の問い、問いの中の問いです。

 

「根本」さんだけに・・・とこれが言いたかっただけなのですがwww。

 

冗談の様な話ではありますが、統心は真剣です。

 

そしてこれが「顕在化」の始まりなのです。

 

この問いを忘れたり、この問いから離れているということはすでに「潜在化」に沈潜しているのです。

 

逆に「顕在化道」は、片時も、それこそ一瞬たりともこの問いから離れることはありません。

 

今月の教室ではこんなことを話しながら、「顕在化と潜在化」の違いについて整理して行きたいと思っています。