テーマ:2023年の展望_「ψ11定質」の顕在化とは?
~ マージナル・マンとアバターの顕在化 ~
2023年が始まった。ψ11顕在化の年。いよいよこの時が来たのだ。
私はこの時をずっと待っていた。なぜならこの「11」こそがヌーソロジーの真骨頂、その実力の見せ所であると信じて止まないからだ。
1~8の次元で土台を作る。これはカタカムナの「ヤタノカガミ」や密教の「中台八葉院」など、多くの霊学に共通する認識である。
レクチャーでもよく言うが、デジタル数字の「8」は1~9全ての数字を表現できる母胎になっている・・・このこともその現れだ。
続く9~10の次元をヌーソロジーは「調整質」という。8の母胎を中心にして、9と10がこれを挟み撃ち、相互にねじれ、拮抗し、格闘する。
これが「9:思形」と「10:感性」の相克であり、「男性性と女性性」の根本でもある。人間の根底に宿命づけられた「二つの性格」の葛藤だ。この相克が森羅万象の美を作り出しているとも言えるが、人間においては争い・不調和の原因となっている。
ここまでは既存の霊学でも似た様なことを言っているハズだ。ところが、である。この先が解かれていない。
一般的な宗教では、必ずこれを「ある一性(ワンネス)が二つに分かれた、その現れ」と説くだろう。創造神の中にある男性原理と女性原理とか、陰陽二相一対の宇宙・・・だとか。
だがそれでは何の解決にもならない。いやむしろ、この考え方で止まる・・・思考停止こそが、霊的ヒエラルキー・・・宗教組織一般に見られるエネルギー搾取構造・・・の根源となっている。
このことをテーマに書いたのが拙著『ワンネスは2つある』だ。未読の方は是非とも読んで欲しい。
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人間はずっとこの膠着状態にある。もう6500年間ずっとだ。
そこで「11」の登場である。ヌーソロジーはここにとんでもないアイデアを放り込んでブレークスルーを起こした!
「自己と他者」である。
ヌーソロジーはこの「自己と他者」こそが宇宙の根源であると説くのだ。
このことにまだピンと来てない方も多い。これがどれほど偉大なアイデアかということを。
歴史全体を引っ繰り返す破壊力がここにはある・・・但し、破壊と言うのは「古い世界を破壊する」ということだが・・・。
だからこそ、今年からが楽しみなのである。なぜなら今年の「11」から、いよいよ「自己/他者」構造がその姿を現してくるからだ。
11~12の次元で、1~10までのプロセスがそのまま他者側にひっくり返るのである。というか、1~10までのプロセスをすべて他者側から反復する。
そういう構造を経て、自他一体となった意識・・・まさしく「ヒト」・・・の意識の土台が完成するのが「13」という、ヌーソロジーのマスターナンバーである。
ヌーソロジーでは「13」が頂上となる。そして始めの「1」に戻る、円環構造。ちなみに「14」というのは「13のウラ」という意味だ。だから13~14が最終次元で、これがそのまま*1~*2(他者側の1~2)へと接続する。
どうだろう? 実によく出来ている。そしてこれが机上の空論などでは決してないことを示せるのが「11」の実力であると思っている。いよいよ今年から本領発揮なのだ。
具体的に何が起きるのか?
それを探って行こうというのが、この1月最初の教室である。それにこのことをテーマに今年と来年の2年間をじっくり歩んでいくのだから、慌てないで欲しい。
言える事は、これから「自己と他者」という構造がどんどん明らかになるということだ。
ここでその端緒を少しだけ、分かりやすく言ってみようか(ここが統心流の見せ所)。
まず我々は「他者の他者」であるということ。これを理解するところから始まる。
皆さん、自分のことを「自分」だと思っている様だが、それはとんだ間違い。真実は「他者の他者」となっている。
その証拠に、免許証やパスポートなどに貼り付けられたその顔写真・・・それを自分の姿だと思っているでしょう? それがアイデンティティーの根拠になっているでしょう?
それがすでに「転倒している」ということ。ひっくり返っている。だってそれは「本当の私」ではく、他者からみた「他者の他者」だから。
「他者の他者」となることによって、私たちは「100%不感症」に陥っている。「感じる」ことができなくなっている。いや「考えることもしていない」と言える。
その「思考」も「欲望」も、その「好み」とか、「喜怒哀楽」にいたるまで、何から何まで「他者のコピー」であり、「本当の私」とは何の関係もない。・・・このことはヌーソロジーだけではなく、すでに「脳科学」でも言われていることだから、知ってる人は知ってるでしょう。
全然自分を生きてないの。全部他人なの。考えているフリ、感じてるフリをしてるだけなの。だからロボットと何も変わらない。それが現代人の真実の姿。
それを「潜在化したアバター状態」と統心は呼ぶ。
まずはこの認識からスタートする。ここを深く悟るだけでも変容が始まるよ。
しかしヌーソロジーには「明晰な構造」がある。だから変容してどうなっていくか、予想ができるし、その方向性に向かって「意識を呼び起こしていく」こともできるんだ。それが正しく「顕在化」。
だから「11」が顕在化してくると「顕在化したアバター状態」がやってくると統心は睨んでいるんだよ。
そしてここに「マージナル・マン」というアイデアが出てくる。
マージナル・マンとは心理学の用語だが「境界人」という意味。元は青年期のある時期の特徴を捉えて命名された様だが、「子供」でもあり「大人」でもあるという「二つの領域」にまたがって存在し、かつその「どちらにも所属しない」状態をいう。
分かりにくいかもしれないが、ここに「対化」となる「モラトリアム」を持ち込むと、途端にヌース的なニオイが沸き立ってくる。
モラトリアムとは「猶予期間」という意味だが、こちらは子供でもなく、大人でもないという、かなり否定的なニュアンスを持っている。
まだ自我が幼く希薄であり、意志決定もできず、責任もとれない。でもそういう期間を許され、遊び呆けても許されている・・・よく言われるのが「大学生活」のそれだ。
「勉強しない大学生」がいたとしても、それは生産的ではないがモラトリアムとしての意義があると。モラトリアムの期間を経ることで健康的な精神の土台が作られ、その後の社会生活を健全に歩むことができる・・・だとか。
言うまでもなく、この「モラトリアム」と「マージナル・マン」は全く違う。ヌーソロジーで言えば、モラトリアムは「中和」的、マージナル・マンは「等化」的な表現だと言えるだろう。
両者に属していながら、そのどちらでもない・・・このマージナル・マンに「11」の顕在化のニオイを統心は感じる。
そして真逆の「モラトリアム」は、「他者の他者」として、「自己でもなければ他者でもない」という状態である。これは「人間的自我」に通じるのではないか。
だとしたら「マージナル・マン」はどうなる?「自己でもあり他者でもある」・・・そんな「わたし」が顕在化するのではないか?
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どうです? 面白くなってきたでしょう?
興味津々という方は、ぜひ今月の関西ヌース教室に遊びに来て下さい。
京都ライブ、大阪レクチャー、どちらも「性格」が違う教室なので両方オススメです。
後から動画もいいけれど、直接ライブの価値は計り知れません。
コ○ナもいよいよ5類が目前です!今年からはどんどん直接お会いしましょう。
そして新しい年2023年を関西ヌースと共に出発しましょう。
お久しぶりの方も初詣がてらお越し下さい。お待ちしていま~す。
★1/24(火) 京都教室ヌースライブ
場所:ウィングス京都 会議室11
午後6時半~9時
◎京都教室はライブ感覚重視
統心のフリートーク中心に自由にやっています。
毎回楽しい会となり、とても好評です。
※京都は「場の変容」を体験する実験的ライブです!
★1/28(土) 大阪教室ヌースレクチャー
場所:難波市民学習センター 第3研修室
午後1時半~5時
※今回はいつもとは違う「なんば」です。
◎大阪教室はビデオ撮りするレクチャー形式
テキスト・スライドを作り上げ、構成しっかりで臨みます。
時間もゆったりで、アフターも楽しいです。
※2023年の最初のアナログ教室。新年会をやりましょう~。
・定員20名
・マスクはご自由に
・体調の悪い方はご遠慮ください
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