~現象とモノ自体、そしてその差異とは?~
3月教室「戦争と平和と変換人」で「永久平和」の思想を発表したカントを取り上げました。これをきっかけにカント哲学の再考が始まりました。デカルト以来の「主客分離」問題を解決したのがカント哲学とされます。
しかしカントが「主客一致」を見出したのは、理性が認識できる「現象界」に限ってのことであり、理性が認識できない「モノ自体」は放置されました。理論理性の活動は理性が認識可能な「現象界」だけでやっていきましょう・・・というのがカントの提案だったのですが、やがてこの「現象界」だけが自然科学の対象となり、認識不可能な「モノ自体」は「反自然・超自然・オカルト」とみなされるようになったのです。
中世以前の「信仰暴走」時代から、近代デカルトによる「理性の独立」を経て、カント以降現代の「理性暴走」時代となりました。この流れが現代文明のあらゆる破滅的な状況をもたらしています。戦争も自然破壊も人心退廃もすべてがここから、同根です。この流れがわかるとヌーソロジーの立ち位置と方向性が明らかになってきます。それは「人間の外面」である「モノ自体」への「理性の侵入」に他なりません。そしてこのことが「理性と信仰」の一致を見出すのです。これぞヌーソロジーの使命。
統心はさらに「理性と信仰」の分離・統一問題を二つの悪神「アーリマンとルシファー」の問題とリンクさせます。これによって喫緊のロシア・ウクライナ戦争の解決と今年のテーマψ10の顕在化「位置の融和」までもリンクさせるというミラクルを展開します。
ひたすら「前」から来るシンクロとリンクをたどる「わらしべ長者的」な統心流顕在化への道。今回は時事問題が絡んで過激な発言が多く、編集カットしようか迷いましたが、結局は全部ノーカットで収録しています。あるがまま上等!変換人たち必見の内容です。お見逃しなく。