~思形と感性の統合とは、もしや「美学」か?~
思形と感性を統合する方向性としての「美学」というアイデア・・これ自体はカントを中心に18~19世紀のドイツ観念論の哲学者達が追求していた思索の中に既にあった。神への信仰から理性重視の近代に入り、「神なくしていかに平和な社会を形成できるか?」の答えを「美と芸術」に求めたのだ。
しかし現代に入り英米系の分析哲学が主流となるにつれ、「美」と「芸術」に対するこの様な思索は衰退していく。また同時に芸術には「反体制」の衝動が濃く芽生え始め、「美」の追求ではない芸術、「体験から解釈」への芸術が隆盛となっていく。体験中心の芸術が普遍的な美を求めるのに対して、解釈中心の芸術は相対的なものとなり、神の代わりにはなれそうもない。
「美学」とはラテン語の「エステティカ」から来ているが、その本来の意味は「感性学」。論理的な理性に対する感性の可能性を学問にまで高めようとした美学創始者・バウムガルテンにとって「感性と美と芸術」は一体のものであった。だが今日その一体性は崩れ、美と芸術が分離し、感性の意味も彷徨っている。
ここにきて時代が要請しているのは「感性の復活」ということか。「神なき時代に感性を復権すること」・・・2022年「感性の年」、関西ヌースは「美学」と出会ってしまった。そして「美学」とは「奥行きの学」そのものであることを発見する。美学が奥行きで、奥行きが美学なのだ。
今回は美学について、古代から近現代までの「美と意識」についての流れと共に初心者でも分かり易いよう一気通貫で解説されていく。もちろん統心流の解説だが、それによってヌーソロジーとの接合、そしてなぜ今年は美学なのか?が納得できる構成となっている。
奇しくも芸術の秋にふさわしい内容ではないか。ヌーソロジスト(スピナーズ)は必見。是非ともご覧頂きたい。
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