●戦争は正義と正義のぶつかり合い
戦争には双方の言い分があり
どちらが正しい・間違っているというのは、実は言えないのです。
『事実は一つ、真実は人の数だけある』
という言葉があります。
正義とか善悪は「真実」に関わることです。
真実の背後には「価値観」があり、「判断」があり、「ストーリー」があります。
それに基づいて、善悪とか正義とかが出てきます。
そして敵や味方が生じます。正義と正義がぶつかれば戦いになります。
ストーリーは国に、民族に、そしてすべての個人、一人一人にあります。
みんなストーリーの中に生きています。
※ヌーソロジー的にはこれこそが「人間の内面」であり「自我」の温床でしたね。
ということは「事実」とは価値観や判断、ストーリーとは無縁の領域となります。
まさしく「モノ自体」であり、「自然そのもの」であります。
霊的センスのある方ならば誰しもこの領域を求めざるを得ません。
この領域に憧れ、この領域を見出し、この領域に移住したいと願うはずです。
ましてや戦争など人間の醜さの極致を見せつけられれば、なおのことその慕情は募るはずです。
しかしながら、人間には無理なのです。
ストーリーや価値判断と無縁な人間などいません。
もしいるとしたら、もうそれは人間ではないのです。
人間を卒業するか、人外のモノになるしか、その領域は開かれないのです。
それをヌーソロジーでは「人間の外面」というのでしたね。
ヌーソロジーではそれを「空間認識の反転」として
茫洋とした方向性ではなく、明確な力の根拠としての「幾何学的認識力」を提示しているのです。
●二つの悪、アーリマンとルシファー
いま起きていることは「アーリマン的悪」対「ルシファー的悪」の衝突の様に思います。
アーリマンとルシファーはシュタイナー思想に出てくる2種類の悪神ですが
非常に示唆に富んでおり、ヌーソロジー的にみても構造的に合致し、同意されている内容です。
悪魔には2種類ある。ヌーソロジーで言えばΩ9的な悪魔がアーリマン、Ω10的な悪魔がルシファーとなります。
Ω9は「ヒトの思形」ですが、その悪性であるアーリマンは物質的悪のことです。科学技術が行きすぎた唯物論的傾向や経済至上主義の物質的快楽に向かう方向性。
Ω10は「ヒトの感性」ですが、その悪性であるルシファーは精神的悪のことです。宗教的幻想や現実を無視して妄想や精神的快楽に耽溺するような方向性。
アーリマンが西側ストーリーに潜む悪であり、ルシファーがロシア・プーチン側ストーリーに潜む悪と言えましょう。
奇しくもロシアとは「ルーシ大公国」の「ルーシ」が語源であり、ベラルーシ(白ロシア)のルーシもそうです。
そしてプーチンはウクライナを小ロシア(小ルーシ)として併合し、「ルーシ大公国」の復活を目指しているというのです。
ルーシという音がルシファーを連想すると言ってもたぶん違和感ないでしょう。
以上はあくまでも統心の「個人的感想」ではありますが、日々混迷する認知戦争の現状において、皆さんにとって何かの気づきになれば幸いです。
ということで今月の勉強会ではもう少し踏み込んで、いま起きている戦争の意味や、これから起きそうなことなどを探査し(もちろんヌーソロジーの文脈で)
日本にいる私たちが、変換人の道を歩む私たち一人一人に何ができるか・・・などをさぐって行きたいと思います。