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2021年7月の方向性

テーマ:2021年度上半期総集編プラス!

~時間と空間についての最新考察~

 

2019年7月以来、2年ぶりの「上半期総集編」です。

 

2021年も「流れ」に導かれて、思考を積み重ねてきました。

 

思いつくまま、散らかしてきた内容をここらでひとまとめ、整理統合し、

 

そこから新しいものを産み出していく回です。

 

1月:2021年の展望・・・feat.ウルトラマンA

2月:「位置の等換」概論・・・feat.ベルグソン

3月:死の空間を開く・・・feat.ライプニッツ

4月:内包神と外延神・・・feat.スピノザ

6月:無時間の顕在化・・・feat.J/バーバー

 

feat.は、思考の道標として取り上げてきた、ということ。

 

昨年暮れのライプニッツとの邂逅から

 

「全体」「同時存在」というアイデアがもたらされ

 

「無時間領域」についての感覚化が進みました。

 

「神一元」を主張したスピノザの本質も「全体」でした。

 

人間はこの「全体」が分からない、または思考しない為に

 

全てが転倒しています。

 

例えば、「絶対性」と「相対性」も

 

人間のそれは転倒しているのです。

 

人間の言う「絶対性」は、実は相対性(相関主義)のことであり

 

真の相対性(相対運動論)こそが、「全体」を思考し

 

その結果として、「絶対性」を正しく表すのです。

 

スピノザもライプニッツも、マッハもバーバーも、

 

この本質において通底していました。

 

オコツトも円心概念において「相対運動論」を主張し

 

そこから「全体」を思考する「変換人型ゲシュタルト」へと導きます。

 

これに対して、デカルト-ニュートンの系譜につながる近代科学の精神は

 

部分のみに囚われ、全体を見失います。

 

ニュートンは神の偉大さを「絶対空間・絶対時間」に見ようとしていたのですが

 

ライプニッツはその神を「三流の時計職人の様な神」として非難しました。

 

これは近~現代の精神世界、宗教やスピリチュアル全般に言えるのです。

 

どういうことでしょうか。

 

 

スピノザやライプニッツ、マッハやバーバーらは

 

「全体」を直接思考しようとしたのです。

 

だのにニュートンは、運動方程式が成り立つことの重要性を取り出すために

 

(もちろん、彼のお陰で現在のテクノロジーがあるのですが)

 

その背後に絶対空間・絶対時間という「神」の領域を設定しました。

 

つまり「部分」だけをみて、あとの分からないことは「神」と呼んだのです。

 

これは一見すると敬虔深い態度の様に思えます。

 

すると「全体」を思考しようとする方が、不信行為、神に対する冒涜の様に思われます。

 

人間ごときに神を理解することなど不可能である、と。

 

本当にそうでしょうか。

 

 

先のライプニッツが「三流職人」と呼んだ神は、ニュートンの神に対してです。

 

近現代の精神は

 

とくにこの資本主義に染まった現代精神は

 

人間を物質次元に閉じ込め

 

死後の世界や霊界などを遠ざけてしまいました。

 

その為に、敬虔深い宗教・スピリチュアルの人達は

 

死後の世界や霊界を「超越的」なものと見てしまっています。

 

宇宙の中心性を自分自身に見い出せず、教祖やスピリチュアルリーダーを(自分よりも)重視してしまいます。

 

これなのです。これが三流職人のスピリチュアルなのです。

 

要するに、真の意味でのスピリチュアルを

 

「目の前」に見ていないのです。

 

ほとんど全ての人が「来世信仰」に陥っているのです。

 

というか「来世信仰」がどれほど問題があるのか、ということにすら気づいていないのです。

 

ライプニッツの言う「三流職人」というのは、この「来世信仰」のことなのです。

 

 

ヌーソロジーは「生きたまま死後の世界に入る」宇宙哲学です。

 

真のスピリチュアルを来世や超越に求めないのです。

 

いま目の前の現場を「霊界」に転換するのです。

 

それが「中今・・・今に生きる」ということの真意なのです。

 

その為には「時間と空間」に対する思考と感覚に革命を起こさねばならないのです。

 

2021年「位置の等換」の年より

 

その「革命」が具体的に始まったのです!