◆今月の定例ヌーソロジー教室/大阪・京都
テーマ:「原因論と目的論 パート2」
先月取り上げた話題をもう少し掘り下げます。
新約聖書ヨハネによる福音書第9章に以下のようなエピソードがあります。
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イエスが道をとおっておられるとき、生まれつきの盲人を見られた。
弟子たちはイエスに尋ねていった、
「先生、この人が生まれつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それとも両親ですか」。
イエスは答えられた、
「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したものでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」
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障害者を見て、何の罪が原因かとまさぐる弟子たち。これが「原因論」の典型です。
そんな原因論者に対して、イエスの回答は実に痛快。
曰く、誰の罪でもない、神のみわざが現れるためだと。
このイエスの回答こそが、まさしく「目的論」です。
真実の「目的論」、これを聖人のありがたい話に留めておく時代は過ぎ去りました。
今や私たちの誰もが、日常生活において、この領域に生きる時なのです。
ヌーソロジーの空間認識をもってすれば、それは可能。
原因論は人間型ゲシュタルト。
目的論は変換人型ゲシュタルト。
先月に続く「目的論」の第2弾は
より実践的な内容へと深めて行きたく思います。