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2019年6月の方向性

◆今月の定例ヌーソロジー教室/大阪・京都

 

テーマ:「原因論と目的論 パート2」

 

先月取り上げた話題をもう少し掘り下げます。

 

新約聖書ヨハネによる福音書第9章に以下のようなエピソードがあります。

 

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イエスが道をとおっておられるとき、生まれつきの盲人を見られた。

 

弟子たちはイエスに尋ねていった、

 

「先生、この人が生まれつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それとも両親ですか」。

 

イエスは答えられた、

 

「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したものでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」

 

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障害者を見て、何の罪が原因かとまさぐる弟子たち。これが「原因論」の典型です。

 

そんな原因論者に対して、イエスの回答は実に痛快。

 

曰く、誰の罪でもない、神のみわざが現れるためだと。

 

このイエスの回答こそが、まさしく「目的論」です。

 

 

真実の「目的論」、これを聖人のありがたい話に留めておく時代は過ぎ去りました。

 

今や私たちの誰もが、日常生活において、この領域に生きる時なのです。

 

ヌーソロジーの空間認識をもってすれば、それは可能。

 

 

原因論は人間型ゲシュタルト。

 

目的論は変換人型ゲシュタルト。

 

 

先月に続く「目的論」の第2弾は

 

より実践的な内容へと深めて行きたく思います。