~ 此岸を抜け出し、彼岸へと渡る
オコツトが伝えて来た意識進化のプロセス・・・その最終段階である「位置の同一化」がカタチを顕してくるのが2023年~24年の2年間。この「位置の同一化」とは、その前段階である「位置の統一化」が「自他双方」から起こってくることとみられ、「とういつ」×「とういつ」=「どういつ」などとシリウス言語と日本語が奇蹟的なコラボをしている。
つまり「同一化」の前半とも言える2023年は「統一化」を改めて確認することになる。その様な主旨で計画した今回のレクチャーであるが、そんな関西ヌース・統心に対して「前」は、「それは彼岸へ渡る」ことを意味すると伝えて来た。そんな「秋の彼岸」を越えた9月の最終週にこのレクチャーは開催された。
「此岸と彼岸」は仏典から派生した用語であるが、ヌーソロジーでは「自己側と他者側」の正確な比喩としてよく用いられる。「彼岸へ渡る」とは仏教では「悟りに至る」ことになるが、ヌーソロジーではそれが「他者と出会う」ことの意味になる。ということは、私たちはまだ「他者」と出会っていない。これがヌーソロジーの最も奇妙かつ核心的な主張であると言えよう。
まだ「他者」と出会っていない・・・つまり「自己」側で閉じている・・・これが人間型ゲシュタルトの本質である。今回のレクチャーでは、このことを徹底的に腑に落とすべく、統心のトポロジー思考が縦横無尽に展開していく。
統心は言う・・・「他者」と「同じ構造」を見出せと。それが・・・「神」「死」「明日」「未来」。「神を見たものはいない」「死は体験できない」「明日は来ない」「未来はやってこない」・・・ここに同じ構造を見出すとき、「他者と出会う」=「彼岸へと渡る」ヒントが浮かび上がってくるはずだ。
人類がまだ「神」と出会っていないのは、「神」を信じてしまっているからなのだ。「神はいる」と信じる宗教に「神」が現れることはない。むしろ「神は死んだ」「神を見たものはいない」という思考にこそ、初めて「神」が現れる「可能性」が開く・・・「人類が神と出会う日」が到来するのだ。
統心による「神の存在論的証明」のユニークな解説、さらにウィトゲンシュタイン「言語ゲーム」への統心流解説が、今回の最大の見所である。「ビギナーもベテランも唸らせる」統心節が全編にわたって展開する白熱のレクチャー。すべての人にお勧めしたい、至極の作品が爆誕した。またしても神回更新である。お見逃しなく。
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