~いよいよ生きながら死後の世界へ入る時が来た~
1:哲学は死の練習
2:人は死なない
3:「時空」は外在か内在か
4:生きながら死後の世界へ入る
今回は「死」について・・・ヌーソロジーならではの斬新な考察を。いわゆる「死後の世界」を論じる訳ではありません。それはある意味「逃避する死生観」。魂の永遠性を前提としたプラトン主義や、キリスト教の死生観は下手すれば「逃避」になります。
これと対照的な仏陀の死生観は「毒矢の例え」で知られます。死後の世界を尋ねてきた弟子に対して毒矢で打たれた者は、その犯人を捜す前にまず毒矢を抜くことが先決だという、有名な例え話ですが、孔子も同じ様な言葉を残しています。いわば「保留する死生観」。
また一方で、堂々と「死」を受け入れてこそ、「生」の本質に至るのだという、骨太の死生観があります。ハイデガーの「死への存在」、ヤスパースの「限界状況」・・・共に19世紀の同じ頃にドイツで起こった実存哲学。これはいわば「直面する死生観」です。「死」に直面する、人間のはかなさ・無力さを受け入れる・・・
ヌーソロジーは、これらの死生観のどれとも違う。いわば「反転する死生観」。死と生の位置を反転させようとしているのです。いや正確に言えば、私たち人間というのは、この「死と生」の位置が真逆になっている、というのです。それを元返す、正常な位置に戻す、ということ。そこに「空間認識の変更」を持ち出す。
とくに「時空は内在か外在か」の認識革命に、大きな反転ポイントがあると睨んでいます。その先に「生きたまま死後の世界に入る」・・・ヌーソロジーの顕在化は、この目の前を「霊界」「死後の世界」にしようとしているのです!
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